ギャンブルで作った借金の話
- 2025.05.20
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私は25歳の頃、ギャンブルにどっぷりとハマり、気づけば100万円もの借金を抱えていました。最初は軽い気持ちで始めたパチンコやスロットでしたが、負けを取り返そうとするうちに熱くなり、気がつけば借金で生活を回している状態になっていました。収入以上に使い込む日々が続き、銀行のキャッシング額の満額まで手を出してしまったのです。
周囲にはもちろん相談できず、会社の同僚や家族にも借金のことは隠していました。当時は会社員として昼間は普通に働いていましたが、それだけではとても返済が追いつかないと感じ、夜はガールズバーでのアルバイトを始めました。借金を隠す罪悪感と、昼夜働く体力的な厳しさで、心身ともに追い詰められていたと思います。
ガールズバーで働くのは最初は不安でしたが、意外にもお客さんとの会話や職場の仲間との交流に救われる部分がありました。仕事として割り切ることで、自分が抱えるストレスを忘れる時間もでき、何とか毎日を乗り切っていたのを覚えています。その一方で、借金返済のプレッシャーは大きく、一刻も早く返済を終えたい一心で頑張りました。
生活はとにかく節約の連続でした。食費は最低限、娯楽はほとんどゼロ。給料が入れば即座に返済に充てる日々でした。大好きだった友達との遊びも断り、会社の飲み会にもあまり参加しませんでした。これは個人的には社内評価に悪く影響したと思います。付き合いを重視している社風だったので、辛かったです。そんな生活が続く中、「このままでは人生を台無しにしてしまう」とよく考えて、かなり追い詰められている時期もありました。
返済が終わったのは30歳を迎える頃でした。その時、やっと肩の荷が下りたような気がしましたが、返済までの5年間は本当に辛い経験でした。人に借金をしてまでギャンブルに手を出すことの愚かさを痛感し、二度と同じ過ちを繰り返さないと心に誓いました。
こんな人生でしたが、今は生活に余裕もあり、そこそこ幸せです。お金の怖さと、自分の行動が人生に与える影響の大きさを学びました。今では、計画的にお金を使い、無駄遣いをしないよう気をつけています。夜のアルバイトをしたこと自体は大変でしたが、それがなければ返済はもっと長引いていたと思います。辛い経験ではありましたが、その中で得た教訓や人とのつながりは、私にとって大切な財産となりました。
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