懲りずにやりたい放題の祖父
- 2025.01.20
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わたしの父方の祖父は、その地域で殿様と呼ばれる様な大金持ちの息子であり、祖母は天照大神の孫で元祖天孫降臨を果たした饒速日命の子孫と姫様と呼ばれていた大金持ちだったので、第二次世界大戦直後も非常に裕福で複数の人の保証人になっていました。結果、複数の人の借金を返す羽目になっていただけでなく農地開放で小作人から得た資産や財産を上手く運用できずに超インフレによって莫大な資産を失ったそうです。その結果、金がなくなっただけでなく祖父は父達を捨てて妾と消え家族は離散してしまいました。父は、15歳には故郷を遠く離れ、再び祖父がやらかすまで私自身も祖父に一度も会った事がありませんでした。
祖父は、殿と呼ばれていた事もあって資産がなくなっても人脈があり、大きな事業を手掛けていた様です。祖父が、宗教法人の認可を取得してミサワホームを巻き込んで西日本最大の墓地を作ろうとしていました。結局、経済新聞の九州版に負債115億円と掲載される倒産劇を演じてしまいました。倒産後、父に連絡があって1000km以上離れた別府まで祖父に会いに行く事になり、3人兄弟と聞いていた父には妾腹の3人兄弟がいて、父の事を◯◯ちゃんと呼ぶ売られた姉がいたと知りました。車で1000kmも離れた別府まで行った理由は、会社更生法など裁判が始まるまで逃げ回っていた祖父に父が会いに行っただけです。しかし、祖父には反省の色がなく俺を追っかけていたヤクザ達が裁判ではスーツ着てるから笑えたと言うから呆れました。倒産前には、金があって事業をやるのは誰でも出来るけど、金がなくても事業をやるのがすごいと詐欺師の様な事を言っていました。昭和50年代に会社更生法などでトータル7億5600万円の判決でて、巻き込まれ中核となった建設会社の不動産などを売却して借金を整理した様であり、父や父の実弟2人には取り立てはきませんでした。私が、35歳になった頃、父に会いに来たついでに私に会いたいと言われましたが、拒否したので中学生の頃会った時に左の肘下から無い腕の袖が風に揺れている姿だけを覚えています。
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